東村山 local ブログ

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歴史のさんぽみちVo.3(徳蔵寺・正福寺コース)

今回は、前回の「徳蔵寺」を少し進んだ場所にある「久米川古戦場」についてです。

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徳蔵寺から八国山の方へ向かいます。住宅街が広がっていますが、八国山の方へ登っていく形で進んでいったところにあります。

道が入り組んでいるため、googleMapsなどで行くと迷わないです。

そして着いたのがここです↓

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ここの説明文に書いてあることを簡単にまとめると、

ここ一帯は

久米川宿と呼ばれており、上野国群馬県)と鎌倉を結ぶ政治的にも経済的にも重要な交通路だった。久米川宿はその鎌倉街道の主要な宿だった。

太平記』には、元弘3年(1333)5月8日、鎌倉幕府倒幕のために挙兵した新田義貞の軍勢が、11日に初戦を小手指河原合戦で鎌倉軍を破った。そして、12日に南下した新田義貞鎌倉幕府軍との第2戦が行われたのがこの一帯だった。

 また、その後久米川一帯は、建武2年(1335)中先代の乱や応永23年(1416)と同24年(1417)の上杉禅秀の乱など度々合戦の戦場となった。

別の角度から撮った古戦場跡

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また、古戦場跡の近くに公園があり、

その公園には石碑が建てられてありました。

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この像の下に書かれていること↓

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この一帯は、久米川宿の西に位置するそうで、この公園の近くにあるバス停の名前が西宿公園と書かれています。

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周りは住宅街になっています。また、すぐ近くに八国山の入り口があります。 

次回は「将軍塚」です。